健常者の方が障害者だ

今現在関わらせていただいている患者さんで
徐々に身体の自由が奪われてくる疾患を抱えている方がいらっしゃいます。


その方に接していて感じることは、健常者の方が障害があるということです。
なぜ、そう思ったのかというと、精神的に人は日常生活が安定していたいと
思っている人がほとんどだからです。
ですが、そのかたは昨年まで使えていた左手が今年に入ってから麻痺が出てきており
今では右手だけで車椅子の生活をされております。
それにも関わらず、こう言っているんです。
「私は、幸せよ。まだできる事が考えれば沢山あるからね。」
両足も麻痺していて、左腕も利かない中でその言葉を発せられるということは
精神面においてはとても健やかだと思います。
そして、環境という側面からおいてもその方は健常だと思います。

  どうしてかというと、私たちは置かれた環境によって成長もしますし
衰退もしていきます。
体になんらかしらの障害を持つと、この環境というものは極端に制限されていきます。
そして、環境が制限されればされるほど、思考も制限されていきます。
なぜなら、思考とは今まで見てきたり感じたり聞いたりしてきた事をベースに
成り立っているからです。
それなのにも関わらず、その方は、独自の方法でできない事を実行に移して
色々な事を達成してしまっているのです。

そして、最後に家族という側面からみても私たちの方が不自由だと
思います。
その理由は、家族を言い訳にして行動しないことが多々あるからです。
本当はやりたいけど、家族がいるからできないとか、家族のためにやりたくもない仕事をして上司から理不尽な事を言われても働いているんだとか、
一方、その方は「私のせいで息子家族が不自由になって欲しくないから、1人で
暮らしているのよ。」
もう、頭が下がりっぱなしです。

このように、精神的にみても、環境的にみても、家族というつながりの観点から見ても

普通に歩けて、当たり前のようにペットボトルのキャップを空けることができて
当たり前のようにお風呂に入れて、当たり前のようにトイレにいける健常者の方が
よっぽど障害を持っているんだなということです。
だから、そうならないためにも毎日、少しずつでも良いから
成長し続けていくことでしか健常(身体的にも、思考的にも)になることが
できないんだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です