本物は感動する

もう11月になりました。
朝、洗濯物を干すためにベランダに出ると段々と寒くなってきているのが
わかり、冬に向かっているのがわかり、焦りが出てきます。

そうそう、ちょうど先週にお木曜日にあるものを買いました。
それは絶対に必要なのか?と言われると必要ではありません。
でも、何か惹きつけられものがあったのです。

その物とは
和包丁です。

家にはニトリで買ったステンレスの包丁があります。
俺は共働きなので料理をする事もあります。
で、必ずサラダを作るのでミニトマトなんかを切ることもあるんですよ。

そのミニトマトを切る時に
あれ?切れない。。。
となることがめちゃくちゃ嫌なんです。
女房は「そう?切れるよ?」
って言っていますが、切れるの許容範囲がものすごく狭い俺には
ちょっと熟しているミニトマトがスパッと切れないことは
全然切れないのと同じ状況なんです。

今まではステンレスの両刃の包丁を使っていましたが
今回の和包丁は片刃の包丁なんです。

なぜ、この片刃の包丁を買ったのかというと
切れ味です。

最近、ハマっている近所のお寿司やさんで
包丁一つで全然味が変わることを経験してから片刃の包丁の虜になりました。
あの普通のミョウガがシャキシャキの歯応えで絶妙な刺身のツマになっているんですよ。
あれにはびっくりしました。
家で食べているミョウガと同じなの?というくらいの驚きでした。
寿司屋の大将曰く
刺身の味も切り口でまるっきり変わってしまうと言っていました。
片刃の包丁ですと、薄く切ることが可能になるんです。
だから、買った包丁でミニトマトを切った時
向こうが透けて見えるような薄さに切れた時は
今まで使っていた包丁ってなんなんだ?
そんなふうに感じました。

そして、日常の非日常としてみても
この和包丁というのは必要なんだと思います。

なぜか?
それは私たちは生まれてから亡くなる直前まで
栄養を摂取しないと生きていけないからです。
でもただ栄養を摂取といってもサプリメントやサラダだけ食ってれば
いいというわけではありません。
やっぱり感動的な要素を必要としています。
それは見た目であったり、味であったりです。
日常だからこそ、ちょっとした工夫や変化が必要になるんじゃないですかね。
そのためには自在に和包丁を操るスキルがあった方がいいと俺は考えています。

そして、世界と比べて見ても和包丁の素晴らしさというのは
比べ物にならないんです。
それは日本が刀の国だからです。
買ってきた片刃の包丁と今まで使ってきた両刃のペティナイフで
息子にミニトマトを切らせました。

そうしたらまだ料理なんかできない10歳の息子が
「全然違う!!」と言っていたんです。
それだけ、日本の刃の技術はずば抜けて秀でているんです。

そんな、片刃の和包丁のように俺もずば抜けて秀でているような
人間になりたいと思っています。

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