湯川が思ってること

 

湯川の信念

 

  • なぜビジネスをやっているのか?

 

 

選択肢を増やした時に見える景色を楽しんで欲しいから

選ぶ事はできるんだという事を知って欲しい。

そのためには、自分自身が成長し続けなければならないと思っていて

成長していくのと比例して選べる自由が手に入ると思っています。

それに伴って、あなたの周り360度の人たちも

成長して自分では見つけられなかった選択肢の多さを実感できると。

 

 

  • 湯川のストーリー

 

 

幼少期)

 

本家の長男として生まれて、実家は自営業を営んでいたので

何不自由なく過ごしていた。

サッカーや習字、そろばん、塾。

クラスの中でもいつも目立つ方にいました。

ただ、やんちゃだったので、幼稚園の時に

車庫の屋根から飛び降りて、着地に失敗して左ひじを骨折

市立病院に入院して手術を受けたのですが、真っ白なシーツに

クレヨンで絵を描いて、看護師に母親が怒られるなど

やんちゃな子供でした。

 

 

 

中学・高校時代・大学時代)

 

中学、高校では父親がやっていたバレーボール部に入り

中学高校ではほぼ毎日練習。

部活以外の思い出がなく、今思うとハードな日常を送っていたと。

中学ではレギュラーとして神奈川県ベスト8

高校では、キャプテンとして神奈川県ベスト16

その中でも、高校の時の夏の合宿では地獄の50分ワンマンをキャプテンだからと言った理由で、コート一面に投げられたボールをひたすら

拾いまくり、人生初の脱水症状。

顔も痺れて来て、レシーブしようとしても腕が上がらない。

新しく変えたばかりの体育館の床は滑らないので、右肘は白い練習着が

血だらけ。

OBの先輩方の楽しみの夜練は

19時から始まって、終わるのは翌朝4時。

これが4泊5日。

朝練が6時半から5キロを走らされるので

体力も限界で、他の部員達は次々に脱水で倒れ

救急車を呼んだ数は3台。

その後点滴を打ってから戻って来ましたが、

人生でそれほど追い込まれた事は無く、今でも自信の源になっています。

 

 

社会人)

 

 

就職氷河期だったため、文系のそこそこの大学を卒業したといっても

就職先がないし、別にやりたい仕事もなかったので、大学の時に続けていた

ガソリンスタンドで大学を卒業しても働いていたところ

母親が、大学出て就職してないなんてみっともない!

とのことで、母親の知り合いのつてを使って

新しく箱根でオープンする会員制の保養所に新規スタッフとして

入社。

初めての宿泊業で、何もわからず、しかもやりたい仕事ではなかったので

できるだけ早く仕事から帰ろうというマインドセット。

ただ、中学高校と厳しい部活を経験してきて絶対に譲れない事があったので、

それだけは、愚直に実行。

というか、絶対に許せない行動があったんです。

それは、どんな行動かというと、、

 

本社から上司が来た時だけ一生懸命やっています

その他の時はやってるふり。

 

ある週末に本社から理事がお客様を連れてくるということがありました。

その時、上司が私に言いました。

 

「湯川、理事が来るから対応をしっかりな!」

そう言われたので、当時22歳そこそこで、尖っていた私は

こう答えました。

 

「いつも通りでいいんですよね?」

 

そういうと、上司は、

「あ、ああ、いつも通りで頼むよ。」

 

なので、仕事に関しては周りからサボっていると言われることだけは

なかったです。

 

そんな状態で5年間箱根に通っていましたが、

好きな仕事ではなかったので、当時富士フイルムの中途採用試験が

あったので、入社試験を受けました。

その頃も就職はまだまだ氷河期だったので、試験には

何百人と参加していました。

一次試験をパスして、次に二次面接。

二次面接が受かって最終の3次面接の連絡が来た前日

人生を変える大きな出来事がありました。

 

生きるか死ぬかの

事故。

 

骨盤骨折

 

車と壁に挟まれ、救急車で近くの病院に運ばれたが、手に負えないということで、東海大学病院の救命センターへ。

 

なんとか、失血死は間逃れましたが、その後

3ヶ月、ベッド上での生活。

しかも、事故が関係して、その後おしっこが出なくなり、

直接膀胱に管をつなげられ、髪の毛一本分しかない、尿道を切開して

元に戻す手術を2回受けました。

 

24歳の時期は仕事が休みの前には夜通し遊ぶ事が

当たり前でしたが、尿道狭窄のおかげで

遊ぶ事もままならない状態。

なぜかは、頻尿になって、15分おきにトイレに行かなければ

ならない状態だったからです。

 

だから、骨折よりも尿道狭窄の方が生きていく上で辛かったです。

言い換えると、24歳の時におじいちゃんがなる

前立腺肥大症のような症状を抱えていたんです。

 

それも、無事に治り職場に復帰しましたが、

ある日、俺はこのまま30代半ばになってリストラにあったら

なんの取り柄もない。

と焦りが出ました。

 

その時は結婚して娘も生まれていたので

今更、そんな事言えることではないと葛藤がありました。

 

ただ、将来の事を考えると

今の仕事を続けていく方がリスクがあると女房に話すと

夜間で学校に行く事を了承してもらいました。

 

手に職をつけるという目的があって

自分でも昔から身体の事に興味があったので

鍼灸の専門学校に進みました。

週6日の仕事と週6日の夜間の授業を3年間

今だから思うと、若さと情熱があったからできたんだと。

 

無事に鍼灸の国家資格を取り

患者さんが望んでいる治療をしたいと思い

3年以内廃業率70%の鍼灸業界に独立。

 

今現在は開業5年目になりましたが、3人の先生に委託をさせていただくほどの経営状態になりました。

 

そして、現在では学校法人の新入生の募集導線を作成、人材派遣会社運営している介護講座の集客導線モデルを作成し

マーケティングプランも作成している。

 

 

信念のストーリー

 

 

幼少期から自営業を営んで来た両親に育てられて来たので

サラリーマンの両親を持っている人とは、根本的に考え方が違っていたと思います。

 

例えば、夜に電話がかかって来たりすると

めちゃくちゃ父親に怒られました。

理由は、自営業をやっていたので従業員に何かあったかと

気が気じゃなかったという事です。

 

学生の頃は今のように携帯電話も無かったので

家電にどうしてもかかって来てしまいます。

だから、父親に対してうるせーなーという思いもありました。

 

後、基本的に自分の行動は自分自身の責任だという事も

高校時代くらいには植え付けられていたと思います。

 

中学高校とバレーボールをやっていたのですが

雨などが降ると、自営業をいいことに母親に車で学校まで朝練の時送って行ってもらってました。

しかし、父親が

「お前が選んでやってるんだろ?だったら自分でいけ。」

この一言があってからは、電車と歩きで部活へ。

 

その頃から、自分の事は全て自分の責任だと。

 

でも、これって社会人になって結婚して

色々な人と出会って、最強のマインドだと気付きました。

 

だって、全部自分の責任ということは、逆に考えると

全部自分次第でどうにでもなるということだと。

 

人のせいにするのは簡単だけど、その先の景色は

受動的で自分で選んだ景色ではないと。

 

もっというと、不自由な景色だと俺は思っています。

でも、誰でも全部自分の責任というマインドになることによって

どんな景色も選ぶことができるということです。

 

もちろんそうなるためには、自分自身が常に成長して行かなければならないし、そうすることによって選べる選択肢も増えて行くと俺は

思っています。

 

ただ、そのやり方が分からない

自分で選ぶ人生を歩みたいと思っているのに

分からない人に自分で選択できる楽しさを感じて欲しいし

その時見える景色や音を体験してほしいと思っています。

 

 

商品のストーリー

 

 

手に職を持っていて、技術が優れていれば

お客さんはついてくる。

そう自分も独立当時思っていました。

ただ、独立する前にそうではないと、気づくことができました。

 

というのも、実際に技術を持っている先輩方は沢山いましたが

そうであったら、なぜみんな独立しないでいるのだろうか?という仮説があったからです。

 

で、逆に成功している人と直接話せる機会ができた時に

ヒントをもらうことができたのです。

 

その違いとは、マーケティングという仕組みを取り入れているのかどうか

ほとんどの人が、自分の商品ありきで考えている。

それは、間違いでニーズがなければ

商品は売れないということ。

 

また、ほとんどの人が仕組を作っていない。

だから、その商品が売れなければ手詰まりになってしまう。

 

一番重要な事は

相手の思っている本質を理解する事。

 

そのためには、コミュニケーションスキルが必須になってくる。

なぜなら、コミュニケーションスキルが無いと

その本質が何かを知ることができないからです。

だから、コミュニケーションはmustで学ばなければならない

 

もっというと、コミュニケーションスキルがあれば

ビジネスにおいても、家族関係においても

自分の得たい結果を得ることができる可能性は

格段に上がってくると間違いなく思う。

 

逆にいうと、コミュニケーションスキルが乏しい人は

自分の得たい結果を得ることが極端に難しくなると思っています。

 

マーケティングにおいても

全ては、コミュニケーション。

 

なぜなら、相手は人間だから。

 

そんな人間の本質を理解しながら

あなたのビジネスであなたの周りの360°の人を幸せにする

パートナーになります。

 

結局ビジネスは、どれだけの人を幸せにするかだからです。