日本語独特の文化

今日もまあ1日よく雨が降ったもんですね。

昨日は、息子が修学旅行から帰ってきて、一連のクラブチームの監督との話を伝えました。

そうです、全てLINEのやり取りも見せました。

その結果瑠伽は、俺はいつも出来る全力で練習しているし、走っている。

だから、アップ程度でしか走っていなかったというのは納得がいかないから明日直接監督に言うよ。

ママはこの話をしたら、余計な事はしなくていいと言ってたけど、本当にこれは余計な事だと思うか?

俺は全然思わないし、俺が真剣にやっているのに、監督にはそうやって見えなかったということを知れたから良かった。

 

そして息子に大切な事を伝えましたよ。

それは、【言葉の定義】です。

特に日本語という言葉は、察しろという文化があります。

だから、日本はコミュニケーションの齟齬が起きやすい文化です。

監督のいう【成長】という言葉なんてその典型ですよね。

でも、これって抽象的です。

だから、この言葉に対して、成長って具体的にどういう事ですか?

と聞かなければなりません。

そして、俺はそれだけを聞いているだけです。

だけど、あーじゃないこーじゃないと俺の質問に対して何も返事が帰って来ないんですよ。

この前のLINEにも直接お話ししましょうとお誘いがあったので、これからちょっとグラウンドまで行ってきますね。

どうなったかは、また明日のブログにでも書きますね。

では。

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