良かれと思っている事が

昨日もチャットワークや他のメールを見ていたんですけど
10秒息を止めて息苦しかったらコロナに感染しているという情報を
シェアしてくださる方がいました。

消してその方は悪気があったわけでもなく、みんなに有意義な情報を提供しようと思ってそれをメールしたんだと思います。

世の中の人のほとんどが
良かれと思って情報を発信していくんだと思います。

でも、その良かれが
よくないことにつながってしまう事が多々あるんだということを知っておかなければならないと思います。

というか
自分自身で情報精度を上げろということだ。

その情報が真実なのか?
自分自身で見分ける能力を身につける事が重要なんだと。

じゃあ、どうしたらいいのか?

それに対しては
演繹で考えてみると情報が正しいか
一つの判断基準になってくると思います。

具体的には
一つの事を認めたならそのあとの事が必然的に認められるという事が
演繹です。

仮に、ん??
という感じになるのなら
それは違うということになります。

それと、同時に
逆・裏・対偶の論理で考えてみると判断基準の一つになると思います。

昨日のメールで考えてみるとしたら

・10秒息を止めて違和感や苦しさがあるのなら、コロナに感染している

これに対して逆は
・コロナに感染していると10秒息を止めて違和感や苦しさがある

裏で考えると
・10秒息を止めて違和感や苦しさが無いなら、コロナに感染していない。

最後は対偶で考えると
・コロナに感染していないなら、10秒間息を止めても違和感や苦しさが無い

となる。
これを考えてみると
逆では肺気腫なども考えられることから正しいとは考えられないですよね。
裏でも、正しいか判断できないですよね。
最後の対偶で考えてみても、呼吸器に問題がある人などもいるから
正論とは言えません。

よって、正しい情報なのかと言われたら
ん??となると俺は思っています。

もう5年前くらいになりますかね。
ライティングのセミナーに出た時には
論理学を学ぶことを勧められたので、それを期に少し学んでみました。

それがあってから、一歩俯瞰してみる事ができる様になったと
俺は自分で思っています。

古代ギリシャでは、必須で論理学を学ぶ事が義務付けられていた様です。
なぜ、日本では論理学が必修では無いのでしょうかね。

そこが疑問に思います。
では。

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