結局は同じ事

昨日夜寝る前に
テレビをつけると、プロフェッショナルの番組がやっていました。
その内容が気になったので
見てみたのですが、違和感があったので書いてみようと思います。

過労死は誰が決めたのかと言う事です。

その中に出ていた
NHKの社員の女性31歳の死因は心不全だったみたいです。

演繹的にみて
裏:過労死じゃなかったら心不全ではない?
逆:心不全だったら過労死?
対偶:心不全じゃなかったら過労死じゃない?

どうでしょう?

なにか見えてきましたか?

何が言いたいかと言うと
同じ条件で仕事をしている人が全員過労死をしているかどうかです。

もっと言うと
プロフェッショナルでは遺族が過労死だったと
会社側に認めさせて子供の尊厳を守ってあげたかったと
言っていましたが、俺は死んでしまったら尊厳も何も
無いと思っています。

さらに、会社側に裁判で勝ったとしても
後に残るのは自分の子供が亡くなったという事実だけだと。

そもそも、なんでそこまでして
働いていたのか?

結局は7つの習慣の主体性が無いだけじゃ無いかと。

ちょっと厳しく思うかもしれませんが
その親も人のせいにしたいだけだと。

仮に過労死になるくらい自分の子供が働いていたのを知っているなら
止めることもできたんじゃ無いでしょうか?

そんな事を思いました。

あなたはどう思いますか?

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