コミュニケーションスキルの極意

昨日は、息子が所属している学童の2ヶ月に一度の定例会がありました。
まあ、学童の定例会とか学校の行事の大半はお母さん方が出席することが
日本ではほとんどです。

娘が学童の時はほぼ女房に任せていたので

息子の時は俺が参加するという感じになっています。

昨日も完全に男女比でいうと
1:9
ただ、そんな状況でもどうやって開かれたコミュニケーションをとっていくのか?
そういうチャレンジの場にしようと思って参加してきました。
(完全に自己焦点ですけど。)

再来週に迫った学童の夏レクで去年も同じ係をやっていた方と
隣に座って色々話していましたが、やっぱり大切なのは

ラポール。

どれだけ共通点を共有できるか?
これが開かれたコミュニケーションを行うために重要なことだと思いました。

よくジェームスには
相手の頭の中を相手以上に上手に語ることができれば
世の中で生きていくことは簡単だと。

そのためにはコミュニケーションスキルが重要だと。
それと相手の世界に入っていく努力が全てだと。

そして人は自分の価値観が絶対に正しいと思う生き物なんだということです。
昨日も、定例会の最後に
1人のお母さんがこう言っていました。
「最近熱中症で子供が亡くなるというニュースをやっていましたが、息子に話を聞くと目一杯外で遊んでいるということを聞いているんですが、その辺はどうなっているんでしょうか?」
子供の事だから自分の子供も同じ様になってしまうんじゃないかという思いもあると思います。

そこで別れるのが、
・ 子供なんだから目一杯遊んでいいじゃん?
・ 何かならない様にちゃんと先生が時間も水分補給も管理するのが当然だ。

このお母さんは後者だと感じました。
でも、俺はそれじゃあいつまでたっても自分で判断できる子供にはならないと思っています。
子供は大人よりも繊細だと俺は感じていて
喉が乾けばゴクゴク飲むし
暑ければ日陰に行くし、そういう判断ができると思っています。
現に昨日息子に聞いてみたら、「暑かったら学童の部屋で一番涼しいロッカーの近くで俺は寝そべってるよ〜。」

だから塩飴を外に遊びに行く前に必ず食べさせてくださいとか
細かく水分補給のために声をかけてくださいって
俺は過保護じゃないかと思っています。
そこまで学童の先生がやる事じゃないと。

あなたはどっちの考えでしょうか?
俺は親の役目は親がいなくなっても生きていける様に
なる事だと思っています。
決して親が子供を管理することではないと。

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