「ちょうど、今日は初めての通信簿を瑠伽がもらう日だよ。」
と娘が言いました。
??
今頃通信簿??
と俺は思ったので、聞いてみたら
今は大学と同じように、前期と後期に分かれているから
こんな中途半端な時期に通信簿が渡されるようなのです。
で、息子は小学校で初めてもらって来た通信簿。
どんな結果が出ているのか、楽しみに見てみると、
勉強は全て良いでした。
それから生活面に関して先生の意見が書いてあった方には
・ 責任感が強い
・ 気持ちの良い挨拶ができる
これは二重丸になっていました。
そう書かれていると、親はやっぱり嬉しいですよね。
赤ん坊の時から出来ることが少しづつ多くなってきて
自立していくんですからね。
ただ、この評価
基準は誰が作ったんですかね?
なぜ、こういう風に思ったのかと言いますと
日本人は特に誰かの評価を気にして生活をしているように
思ったからです。
何かと比べて、良い、悪い。
それって、俺は何にも意味がないことだと思っています。
もちろん、学力はあった方がいいに決まっていますけど、それが
みんなと同じでいいとは全く思っていません。
なぜなら、そんな人間は少しも面白くないからです。
マスコミも、大衆の評価を操作するためにあると俺は思っています。
実際に、民主党にいた山尾議員が不倫したとか
ありましたけど、本当にしたかどうかは本人達にしかわからない事ですよね?
だけど、評価としては不倫したになったから
議員を辞職するまでに追われてしまったのかと思います。
通信簿とマスコミの共通点は
評価です。
それが事実かどうかは一切関係ないという点も
同じです。
俺は、小学生2年生の頃ですかね、通信簿に
この子はこのままいったら、大変な子供になる
と書かれていました。
昔の先生達は当たり前のようにそういう評価をしていました。
ただ、間違っていたことは、大変な子供にはならなかったことです。
なので、自分自身の基準を持って
生きていけば俺はいいと思っています。
あいつ変なやつとか、変わってんなーって言われても
いいと思っています。
重要なのは信念。
あなたは、どんな信念を持って生きていますか?
追伸:明日からちょっとイタリアに行ってきます。
また、ブログはイタリアから書きます。
では。
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