J1優勝決定

哲学的思考

昨日はJ1の優勝が決まる試合が同時時刻に始まりました。
鹿島アントラーズが勝ち点73、1差で柏レイソルが72で追っていました。
アントラーズは勝てば自力優勝。
引き分けて、レイソルが勝つとレイソルの逆転優勝になってしまう。
そんな緊張の中で試合が始まりました。

順調にアントラーズがマリノスから2点を取って、優勝が決まりました。
今日は、何が言いたいのかと言うと、別にどっちが優勝しても構わないんです。
だけど、思うのはなぜサポーターは両会場とも最高入場者数となるほどに
熱中するのでしょうか?
そこまでサッカーに熱中すると言うのは何をサッカーがもたらしているのか?
それに不思議を思っていました。
やっている選手はもちろん夢中になるのはわかるんですけどね。

ボール一つに本当になぜ、人は熱狂するんでしょうか?
これは野球やラグビーのものとまた違うような感じがするんですよね。俺には。
そこで、野球とサッカーの違いはなんなのかと俺なりに考えてみました。
一つ目はチームの一体性です。
野球もチームスポーツだろ?って思うかもしれませんが、俺はそう思わないんですよ。
なぜなら、攻撃の時はバッターのみで、他は塁に出ていなければベンチにいますからね。
そして、守備もピッチャーとキャッチャーが主に戦っているといった感じでサッカーの一体感とは違うものだと思います。
そして、サッカーというスポーツは自由度がものすごく高いスポーツだと。
ボールをゴールに入れるためにもちろんオフサイドなどのルールはありますが、基本自由に設計することができます。
野球は打って決まったところに走るだけ。
そんな、サッカーに人が熱狂するのは、自由への共感なのではないかと俺は思います。
人はなぜ生きているのか。
それは自由になるために生きているんだと俺は考えます。
そして、もう一点、わかりやすい【巧みさ】に人は惹きつけられているのではないかと。
巧みさとは、瞬間瞬間の課題にたいする問題解決能力だと俺は考えています。
だから、陸上でいくらボルトが速いと感じても巧みさは感じませんよね?
野球で大谷がいくらホームランを打っても巧みさという言葉は出ないと思います。
よって、人がサッカーに熱中するのは、自由と巧みさにたいする期待と共感から生まれてきているのではないかと。
まさしく人生と一緒ですね!

 

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