終わりがあるが、中身は

哲学的思考

奇数だったら、それを3倍にして1を足す。
偶数だったら2で割る。

これを最初17から始めてみてください。
面白いことになりますから。

17は奇数だから3倍にして1を足す。
52になる。52は偶数だから2で割る。
26。26も偶数だから2で割る。
13。13は奇数だから、3倍して1を足す。
40になる。規則に従って2で割る。
20。
割る2で10。割る2で5。
5×3+1=16
16÷2=8
8÷2=4
4÷2=2
2÷2=1

これ、どんな数字でやっても1になる。
つまり、規則の中に限界があるということ。
予測がつくが、その中身はいくらでも可能性があるという意味です。

ぜひ、あなたも特定の好きな数字でやってみてください。

で、だから何?って思いましたよね。
これはゲーデル・エッシャー・バッハの本で昨日読んだものです。

一体何を意味しているのか?
無限と思われるものにも終わりがある。
終わりがあるものの中に無限があるという意味だと
俺はとりました。

バッハのカノンもエッシャーの騙し絵も
同じ意味があるのではないかと。
そういうメッセージがあるのではないかと。
じゃあ、これを俺の大好きな日本酒で考えてみたら
それを作る方法はいくらでもある。
精米歩合を変えたり、水を変えたり、米自体を変えること。
無限の組み合わせがあるはず。
でも、その先には終わりがある。
つまり1になるということ。

何にでも当てはまるような気がした日曜日の午後の読書でした。
さて、明日から9月ですね。
9月は息子と娘の誕生日です。
16歳と21歳になるのか。
早いな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました