下田の鯵の開き

哲学的思考

あっくん、家にいますか?
そう、昨日の夕方しげちゃんからメッセンジャーが届きました。
水曜日は19時30分から患者さんの施術がありますので、20分までならいますよ。
と返信しました。
ギリギリ間に合うか間に合わないかですと。
女房が家にいますと伝えて、患者さんの施術に行きました。

患者さんの家に行く途中で、しげちゃんとすれ違いました。
メッセンジャーには下田で一番美味しい鯵の開きです。
と書いてありました。

患者さんの施術が終わって風呂に入っている間に、女房がしげちゃんのアジの開きを焼いていてくれました。

仕事おわりのビールと焼きたてのアジの開きは最高ですね!
めちゃくちゃ、味が凝縮していてうまかったですよ。

でも、しげちゃんのメッセージで、さらにそのアジの開きの旨さが倍増してんですよ。

あのアジはその日の天気予報を見て作っているんですよ。

この一文です。

これによって、作り手のなんていうか、熱意や干物に対する思いが一気に伝わってくるんです。
作成者のキャラクター。
魅力が一気に伝わってきます。

そう考えるとコピーライティングはとても重要で、何も聞かずに食べるアジの開きと
このストーリーを聞いて食べるアジの開き、物質的にはまるっきり同じものですけど
全く違う商品になります。

なぜ、人間はストーリーによって感化されてしまうのでしょうか?
物語は何か覚えるときにもスッと頭の中に入ってきます。
そのことは人間にとってどういう意味があるのか?
それは、ストーリーが人間にとって人生そのものだからだと俺は思っています。
人生はストーリーじゃないですか?
だからこそ、人間は無意識にストーリーを理解することができるのだと思います。
そして、そこからその人物が映し出されるのだと。

今回のしげちゃんがお土産で買ってきてくれたアジの開きですが
ストーリーは最終的には物ではなく、人間に帰着していくんだと。

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