小学校1年

ちょうど息子が生まれて半年が経ったあの日
もう、今年の9月で8歳の小学校2年生になる。

7年前の3月11日は東日本大震災。
ちょうど、その頃勤めていた所で県庁へ書類を提出するために
横浜に行っていました。

そして、帰ろうとJRの切符を買った直後
ものすごい揺れが。

駅の地下では床から黒い液体があちこち出ていました。
その後、駅にあった液晶のテレビでは映画のワンシーンのような光景が。
大きな波の中に炎があちらこちら。

津波が来たのがわかった。

それから、電車に乗りましたが一向に動く気配がなく、当分帰れないのがわかったので、本屋で買ったもしドラを
読んで時間を待ちました。

その合間に家の家族は大丈夫か?と心配になり電話をしても
電話が繋がらない。

それから横浜駅から避難所のパシフィコ横浜まで徒歩で移動。
会場について、毛布などが配られることになりましたが、人数分もなく
ダウンジャケットで夜中まで過ごしました。

なんとか、相鉄線と小田急線が動いているといった情報があったので
海老名経由で小田原の家に帰ったのは明け方の4時くらいだったと。

そんな思い出があります。

この震災で多くの命がなくなりましたが
そこから何を学んだか?が一番大切だと。

前に進むしかありませんからね。
そう考えると、毎日が奇跡の連続なんですから
時間の無駄とかって無いですよね?

生きている事自体奇跡です。

そのことに感謝しないで
上司があーだこうだ、会社があーだこうだ。
自分のミッションもなく他人の行動に影響を受ける。

勿体無い。

ミッションを持っている人と持っていない人の差は
歴然。

結局自分の人生を生きていないから
全部人のせいにしますからね。

あの人がやってくれないからとか
主体性がない。

関心の輪に集中しているので影響の輪が小さくなっているんです。

もっと当たり前の事に集中することで
心も行動も満たされると思います。

そんな事を考えながら過ごした2018年の3月11日でした。

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