レモンの木と日本人の男

イタリアを旅したときのこと。
ナポリの海沿いを歩いていたら、民家の庭先に立派なレモンの木があった。
黄色い実が鈴なりになっていて、思わず足を止めて見入ってしまった。

ちょうどその家の前にいた初老の男性が、俺に気づいてにっこり笑って言った。

「欲しかったら、ひとつ持っていきなよ」

驚いた俺が「いいんですか?」と返すと、彼はあっさりとこう言った。

「レモンは与えるために実をつけるんだよ」

その言葉が、ずっと心に残ってる。

受け取るより、与えることに慣れている人

そのレモン、ホテルにに帰って買ってきた惣菜に使ったんだけど、めちゃくちゃ香りがよくて、酸味も優しくて。
何より、あの言葉とセットで味わうと、ただのレモンじゃなくなるんだよな。

「与えるために実をつける」

これ、なんだか深くないですか?

日本に帰ってから、ふと周りの男たちを思い浮かべてみた。
会社の上司、取引先、友人、そして自分自身。

みんな、「与えること」に対してどこか慎重というか、どこか構えてる気がする。
「損したくない」
「見返りがなかったらどうしよう」
「おせっかいだと思われたら…」

そんなブレーキが、無意識にかかってる気がする。

でもさ、レモンの木はそんなこと考えてないんだよね。
ただ、太陽を浴びて、雨を吸って、根を張って、自然と実をつけて、そして与えてる。

それが「当たり前」なんだ。

かっこよさって、こういうことかもな

あのナポリの男の笑顔を思い出すたびに、「かっこよさ」ってこういうことなのかもしれない、って思う。

でっかい声で自慢するでもなく、見返りを求めるでもなく、
「いいよ、持っていきな」って、サラッと差し出せる余裕。

なんというか、「俺もそうありたい」って思わせてくれる。

俺たち日本人の男も、もっと自然体で、もっと「与える」ことにオープンになってもいいんじゃないだろうか。

知識でも、経験でも、笑顔でも、感謝の言葉でも。
小さなことでいい。

それがきっと、人間としての「深さ」や「強さ」につながっていく気がする。

あなたの“レモン”は、何ですか?

もし、あなたの中に「与えたいけど、まだ出せてないもの」があるなら。
今日、誰かにひとつ差し出してみませんか?

難しく考えなくていい。
あのレモンの木のように、ただ自然に。

「レモンは与えるために実をつける」

そう考えたとき、きっとあなたの中にある何かも、ゆっくりと実を結びはじめるかもしれませんよ。

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