制限が自由を

哲学的思考

おはようございます。
今朝も寒い。
さすが、一年で一番寒い時期ですね。

子供達は、テストだったりで大変な時期かもしれませんが。
もう、来月には息子は合格発表が終わっている頃です。
さて、どこの高校を受験するのやら、まだ親の俺にはわかりません。
っていうか、受験料をもう払う時期なのに。

でも、俺の人生でもないし息子の人生だから息子が決めればいいと
俺が、中学三年の頃はまだ神奈川県にだけアチーブメントテストという制度があって
中学二年の時にこのテストを受けるんですけど、それでほとんど高校が決まってしまっていたので、受験というハードルは低かったと思います。
でも、どっちがいいんでしょうかね?

というのも、以前は学区というのがあって、ほぼみんな学区内に進学していたんです。
一方、息子の時代は学区制度がないので、さらに広い場所から自分の行きたい高校が選べるという自由があります。

この自由というのは本当に自由なのでしょうか?
なんでも選べることが本当に自由になるのか?
それとも限られた範囲があることが自由の意味なのでしょうか?

枠があるからこそ、そこに自由を描くことができるのではないでしょうか?
サッカーにおいても手をゴールキーパーとスローイン以外は使ってはいけないという制限が世界中が酔いしれるプレーにつながっていくのではないでしょうか?

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