高校受験は何を手に入れるためにあるのか?

哲学的思考

ねえパパ神奈川県の特色検査の過去問の問題集を買って欲しいんだけど。
オッケー。いいよ。Amazonで頼んでおくよ。
昨日の夜は、患者さんにもらった柚子を包丁で半分に切ってから
洗濯ネットに入れて湯船に浮かべました。
冬至と言ったらやっぱり柚子湯ですね。
あなたも入りましたか?
でも、なんで冬至の夜は柚子湯に入らなければならないのでしょうか?
それは、一体誰が決めて誰が得をしているのでしょうか?

日本において、それは文化だからとか昔からのしきたりだとか
そういうものが沢山ありませんか?

でも日本人というのは義務教育というわけのわからない学校生活で完全に
先生が言ったことが正しい。
教科書に載っていることが正しい。
そのうちニュースや新聞でやっていることは正しいと思うようになってきます。
俺もずっとそうでした。
何も疑わなかったですからね。
親の世代になったら余計その状況は固まってきます。

そして義務教育の集大成の高校受験。
日本はいまだに学力社会です。
仕事をするにしてもどこの大学を出たのか?
出身校はどこかで評価をされると思っています。

そして、その出身校というのは強力なフィルターになってその人を見ることになるんです。
でも、それって本当にその人の事を正しくみているのかというと絶対にそうではないですよね。
なぜなら、過去しか見ていないからです。
今、息子も受験勉強真っ只中です。
それは、日本で生きている上では必要なのかもしれません。
何を得るためなのか?
偏差値と出身校というフィルターを手に入れるために勉強をしているのだと。

でも、それは大人になって役にたたないことを教えるべきだと俺は考えています。
そいつがどういう信念で生きているかを見るべきだと。

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