声の正体

哲学的思考

こちら大東建託パートナーズの細山と申します。
留守番電話をお聞きになられましたら、ご連絡お願いいたします。

そんな、留守電が入っていました。
夕方患者さんの施術が終わって、運転しながら折り返し電話を入れてみたんですよ。
なんの話かというと、昨日のブログにも書いたウェ〜〜!の話です。

その内容を話して、みたところ確認をとりますねとの事でした。
女房は病気なんだからしょうがないでしょと言っていますが、しょうがなくない。
なんで不快なものを放っておくのか?

同じ、音を聞いているのに、この違いは一体どこから生まれてくるのでしょうか?
昨日AIにブログを読んでもらったら、俺のその不快の正体はその声ではなくて
正体が分からない事に対してのストレスではないのか?と言われました。
幼稚園児の声は別になんとも思わない。
むしろ心が緩まる感じがする。
他方、いつも聞こえてくるあの声は不快一択でしかない。
これを分けているのは果たしてなんなのか?
女房は不快に思わないということなら、俺に聞こえてくるウとェと〜は本当は違う音なのか。
音の大きさが不快と昨日書いたが、それも果たして真実なのかどうかは俺には分からない。
一体、何に対して不快になっているのか。
その声が止むことでこの不快は確実に消えるのか。
その答えははっきりとわかる。
必ずその不快はなくなる。
だけど、その不快は一体なんなのかは分からない。
家という安息の場所に入り込んでくるからなのか。

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