クリスマスプレゼント

哲学的思考

昨日の夜の患者さんの施術後、患者さんからクリスマスプレゼントをいただいてしまいまいた。
そのプレゼントというと香箱かにです。
能登から届いたそうで、まだ生きていたんですよ。

話では香箱かにのことは聞いていましたが、実際に食べてみるのは初めてでした。
風呂に入っている間に女房にお湯を沸かしてもらっていて
半分は塩茹でにしてもう半分は蒸し料理で調理しました。
香箱かにって能登の方では給食に出るみたいなんですよね。
地方によって全然違う食材があるって日本は最高に広いですね。
そして、まだまだ未知なことがたくさんあると感じました。

実際に食べてみると、やっぱり小さくても蟹ですよね。
甲羅を剥がしてみると味噌が少しだけどあるんですよね。
こんなご馳走はやっぱり日本酒ですよね。
最高なクリスマスプレゼントをいただきました。

でも、クリスマスにプレゼントを贈るって誰が決めたんですかね?
そもそも、クリスマスというのはキリストの復活祭ですよね。
ある意味、キリストは世界一マーケティングが上手い人ですね。
なぜなら、世界中にキリスト教を広めることができたんですからね。
しかも、今の時代のようにインターネットなんてないんですからね。
すごくないですか?
世界中ですよ?
そして年も、世界中で今は2025年です。
何を基準に?
それはキリストが誕生した年を基準にしているんですよ。
世界中がですよ?

そう考えると、あちこちに不思議なことがあります。
世界基準にしようと決めたのは誰なのか?
その目的はなんなのでしょうか?
そんなことは誰も問わないですよね。

そして、香箱かにも最初に食した人は誰なんでしょうか?
日本にも誇る調味料がありますよね。
味噌と醤油。
どちらも大豆が元ですが、全く違うものですよね。
これを作った人も何が目的で作ったのか、たまたまできたのか
俺にとってのクリスマスプレゼントはこうやって色々な不思議を感じることですね。

 

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