家事とは

哲学的思考

岩牡蠣買ったよ〜。
ちょうど、午後からの患者さんを施術して回っているときに
女房からLINEが入ってきました。
あれ?今日も半日なのか?

なんか一昨日の夜、火曜日も半日なんだと言っていたような記憶がありました。
それにしてもその一言でほっとしたことは事実です。
岩牡蠣に対してほっとしたのかというとそうでは無くて、仕事から帰った後の
家事が今日は免除されるんだという思いです。

どこの家庭もそうだと思いますが、共働きの家庭では必ずどちらかが家事を行わなければなりません。
(いや、お手伝いさんを雇ってもいいけど、それだけの収入があることが前提なので
ほとんどの日本人には当てはまらないと思います。)

その家事の負担というのは結構ありますよね?
特に子供がいるとまずは子供のために洗濯や食事を作らなければなりませんからね。
でも、もう上の娘が来月21歳になるので今までも、そういう経験はしてきたはず。
なのに、なぜ今の歳になってからだけほっとしているのか?
それは、なぜ起きているのか?
結婚してから23年ずっと共に家事をしてきたからなのか?
少なくとも、俺にとって洗濯や食事はやりたくてやっているものでは無いということです。
できればやりたくない仕事に入っています。
でも、それは本当にそうなのか?
洗濯物の量によってその気持ちは変わるのではないか?

というのも、群馬から帰ってきてから娘にはまだ会っていません。
なぜなら、大学の友達と旅行に出掛けているからです。
なので、今朝も洗濯物を干してきましたが、それほどイライラはありませんでした。
じゃあ、本当に俺は洗濯物が嫌いなのか?
いや、大量に出す娘の態度が気に入らないだけなのかもしれない。
それと同時に料理も俺は嫌いなのか?
昨日は、岩牡蠣を開ける事が以前よりも簡単だと感じました。
牡蠣を開ける作業は楽しいし、成長していると思える。
そして、グリーンカレーを作って上手にできた時も楽しかった。

俺が本当に嫌なのは、同じルーティーンをこなすことなのか?
いや、量のバランスなのかもしれない。
過度に働けばそれは嫌になる。
朝から晩まで料理をしていたら、それは俺にとって苦痛になるのかもしれない。
人の洗濯物を朝から晩までやっていてもそれは嫌なのかも。

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