この前、ビジネス仲間と飲んでたときの話。「成功するには努力が必要だよな」って言われたんだけど、俺はふと「本当にそうなのか?」って思いました。
なぜなら、世の中には「努力してるように見えないのに成功してる人」って結構いるじゃないですか? あれってどういうことなんだろうなって。
努力は「見せる」ものかもしれない
まず思ったのは、努力って実態じゃなくて「見せ方」の問題なんじゃないかってこと。
例えば、スポーツ選手や経営者が「努力の賜物です!」って言うことがある。でも、それって単なる演出かもしれない。
- 会社の社長が「寝る間も惜しんで働いた」とか言うけど、実際は効率的に動いてるだけだったりする。
- インフルエンサーが「毎日勉強しました!」って発信してるけど、裏では要領よく進めてるだけかもしれない。
つまり、「努力しました!」って言ったほうが周りが納得しやすいから言ってるだけかもしれないんだよな。
努力=時間をかけることじゃない
もう一つ思ったのは、多くの人が「努力=長時間の積み重ね」って考えがちだけど、それ自体が幻想なんじゃないかってこと。
例えば、数学が得意なやつは1時間で理解できるけど、苦手なやつは10時間かかる。この場合、10時間かけた方が「努力した」と評価される。
でも、じゃあ1時間で理解できたやつは努力してないのか?
違うと俺は思うんです。単に「本質を掴む力」があるだけ。
逆に言えば、時間をかけたことを努力とみなすのはナンセンスかもしれない。
「努力しないこと」こそ最大の努力
一番面白いのは、「努力しなくても成果が出る仕組みを作る人」のほうが賢いんじゃないかってこと。
例えば、
- 資産家はお金が働く仕組みを作る。
- 優れたマネージャーは、自分が動かなくても回る組織を作る。
- すごいアーティストは、一発のヒット作で長く稼ぐ。
これって、「どうやったら努力しなくてもよくなるか?」を考えた結果なんだよな。
つまり、「努力が必要な状況にいること自体がダサい」可能性があるわけだ。
海外での努力と日本の努力の比較
日本と海外では「努力」の捉え方に大きな違いがある。
- 日本:長時間労働や忍耐が「努力」として評価されがち。特に「頑張っている姿勢」が重要視され、結果よりもプロセスが重視される傾向が強い。
- 海外:成果主義が一般的で、効率的に成果を出すことが「努力」と見なされる。長時間働くよりも、いかに短時間で大きな成果を出すかが求められる。
例えば、
- 日本では「会社に長くいる=努力」とされる風潮があるが、海外では「成果を出さないと評価されない」。
- 日本の受験勉強は「何時間勉強したか」が重視されるが、海外では「いかに効果的に学ぶか」が重要視される。
この違いを考えると、「努力」の概念自体が文化によって変わるものだとわかる。
結局、努力ってなんなんだ?
結局のところ、努力って単なる「見え方」の問題かもしれない。
- 努力してるように見せることが評価される。
- 長時間かけたほうが「努力」として認められがち。
- でも、本当に賢い人は「努力しないで済む環境を作る」。
そう考えると、「成功するには努力が必要」っていう常識自体が、もう時代遅れなのかもな。
じゃあ、どうすればいいのか?
俺らがやるべきなのは、「努力しなくても成果が出る仕組み」を作ることなんじゃないか。
これ、自由な人生を作るためにめちゃくちゃ重要だと俺は思います。
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