溢れる事

ママー水筒!

今の時代学校にそれぞれ水筒を持っていくようになっているみたい
なんです。

それで朝息子が自分で水筒へ氷を入れて
アクアクララの水を入れていたんですけど、水を入れすぎて
ちょこっと溢れてしまったんです。

これって生きていく上でも必要な事だと思うんです。
なぜかというと

溢れるということは
それ以上受け入れることができないよというサインじゃないですか?

つまり意図的にその容量を増やしなさいと言うことです。
それか、今あるものを手放さないといけないと言う意味です。

ほとんどの人がこのどっちにも動こうとしないのが
現実です。

なぜなら、容量を増やすのには負荷がかかるからです。
なんでもそうですが、今の自分より成長するためには
必ず時間的負荷や身体的負荷がかかってきます。

イタリア語を学ぼうと思ったら、それを学ぶために
時間の負荷もかけなければなりませんし、頭にも負荷をかけなければ
なりません。

もう一方で、今得ているものを手放すことも
人間はすることができません。
どちらかと言うと、こちらの方が何かを得ようと思うより
強いです。

今の生活から何かが失われると考えたときと
より良い生活のために何か行動を起こそうとするときと
どちらがより強い動機を持つかと言うと
何かが失われる時の方が強いと思うんじゃないかと。

これは行動心理学でも認められていて
獲得的なことより喪失する事の方が行動するための
動機が高まるといったデータがあります。

私もそうですけど
何かを手放すということは心理的にとても
怖いです。

例えば、今の仕事から別の仕事に移ろうと考えたとき
今の状態のまま新しく移れればいいなと考えます。

安定したまま何かを得ようと思っているのです。
そんな事は無理だってわかっていますけどね。

でもそれが人間というものなのだと思っています。

あなたはどうですか?

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