強い信仰は盲目を作る?

おはようございます。
今日は5時に起きました。
と言うのも、息子が7時からサッカーの練習があるので、朝食の準備をしなければならなかったからです。
そうです女房は昨日は夜勤だったので俺が。
そして、いつもの目玉焼きを作ってから朝ランに行ってきました。
今日はいつもより30分早くランニングしてきたので、とても涼しくて気持ちが良かったです。
あと、今日から8月ですよね。
うちでは毎月1日には家の敷地の四隅にお酒と塩を撒いています。
これはもう結婚してからずっと続けています。
アパートの時からですね。

そんなことやって意味があるんですか?と思われるかもしれません。
どうなんでしょうか?
少なくとも、俺は意味があると思っています。
と言うのも、結婚してからずっと神様に助けられていると思っています。

コロナの時も仕事には全く影響がありませんでしたし、日本人の9割が射ってしまった
あの毒ワクチンから逃れることができましたから。
見えない力に守られていると思っています。
そうです俺は神様は絶対にいると思っています。

別にそれを信仰していると言うわけではありません。
信仰というのはどういう意味なのでしょうか信仰は個人的な信念や信頼を指しています。
一方宗教とは、特定の信仰体系や教養、儀式、倫理規範、社会的組織を含むことを言います。
宗教というのは、人を幸せにするために存在しているのでしょうか?
それとも人を盲目にするために存在しているのでしょうか?

あまりにものめり込みすぎると、思考停止に陥ってしまうのではと俺は思います。
そして、その倫理や儀式に参加しない人たちを敵とみなすとても怖いものでは無いかと。

信仰心の強さは、異なる意見の排除と、思考停止を起こすと俺は思っています。
それでは8月も楽しんでいきましょう。

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