今年は祖母の新盆です。
昨日、夕方実家に寄ったら玄関に白い提灯がぶら下がっていました。
そして、今日患者さんから玄関に提灯があるでしょう?と言われたので
そうなんですよ。昨日実家に寄ったら白い提灯がぶら下がっていてと伝えたら
新盆の場合は白い提灯を玄関に飾るんだよと教えてくれました。
まだまだ、知らないことがたくさんあるなーと実感しました。
そして、その時にあれ?と思ったのに調べなかった俺はまだまだダメだなと
改めて感じました。
世の中は、こうやって知らないことばかりなのに、私はそれを知ろうとしない。
ご先祖様に申し訳ないなと。
今は手のひらにある箱でなんでも調べることができる時代で、すごい恩恵があるのにも関わらずです。
なぜ、そうなってしまうんだろう?
知ることによって、違う視点で物事を見ることができるようになるのにそれをしようとしないのは、何がそうさせているのか?
知ることは混乱を生じさせるからなのか?
というのも、大人になって色々なことを学べば学ぶほど、考えることが多くなることは実感している。
例えば、東洋医学についてもそう。
五行など知らなければ相生関係、相克関係などは絶対に知らない。
それを知らなければ患者さんの痛みの原因を筋肉や神経系で解決しようとします。
でも、この関係を知ってしまったがために、本当にそれで良いのか?と迷ってしまうことは
確実にある。
だから、私たち人間は幼少期にはなんでなんで?と親に聞いていたものを
いつの日か辞めてしまったのだと思う。
そうしなければ、行動が取れなくなってしまうからなのでは無いでしょうか?
そして、知れば知るほど今の世の中の理不尽さに怒りが湧いてくるからなのかも知れません。
私たちが知ろうとしないことは自分を守ることにつながるのか。
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