ここ最近、深く考える事をしてきた。
息子の牛角と京城苑の味の違い、治療をしていたのはなんなのか?
そして、息子のサッカー少年団の同窓会。
ここから、すべてを合わせて問いを作ってみると。
俺は、治療や同窓会、京城苑を通して、自分や他人に枠組みを渡していたのだと。
その枠組みとは俺が最善だと思っていたものと同じ基準を伝えるため。
京城苑に連れて行ったのも、寿司屋の篠さんに息子を連れて行ったのも
俺は本物の味を息子に伝えたかったからであって、つまり、俺の枠組みにはめたかっただけなのかもしれない。
そして、それを必需品として受け入れさせることで自分を満足させていたのかもしれない。
価値観の植え付けだ。
息子のためを思って、患者さんのためを思っているのは確かだが
それから自分の枠の中に入ってもらおうと思っているのかもしれません。
全部コントロールしようとしているのではないか。
いや、コントロールしようとは思っていない。
最適解を見つけられるように枠組みを与えていたんだ。
息子も、患者さんの必需品になろうとも思っていない。
逆に、必需品になったら困るんですよね。
自立できなくなりますからね。
自立させるために親をやっているし施術家をやっているんです。
俺の一部である生きていく上での必需品という枠を渡すために俺は人生を生きている。
だから学び続けるし、考え続けているんだ。

コメント