日常に潜んでいる恐怖は

今朝はちょっと違っていて
新鮮でした。

と言うのも
3月の頭くらいぶりでしょうか?
なので、3ヶ月ぶりですかね。

月曜日は、患者さんの治療が7時半から入っているので
6時55分には家を出るようにしています。

でも、ここ3ヶ月は息子の小学校が無かったので
1人で家を出る事がほとんどでした。

ですが、今朝は息子も午前中だけですが小学校が朝からあるとのことで
実家から登校のため、一緒に家を出たのです。

少しだけ、もとの生活に戻ってきているのが
わかりました。

今回の新型コロナウイルス騒動によって
今まで当たり前だった事が、全く当たり前ではなくなってしまったと言う
人もたくさんいると思います。

どんなに準備をしていても
どうしようもない事は必ず起きます。

その時に自分に何ができるのか?
と言うと、

解釈です。

はっきり言って解釈は自由です。

そして、出来事は変えることはできません。
どうしようもない事だからです。
だけど、起こった出来事に対して、自分がどう解釈するのかは
自分自身が決める事ができるのです。

その出来事をものすごく悪くとることもできますし、その逆に
ものすごくポジティブにとることもできます。
そして、ほとんどの人がものすごく悪く解釈します。
以前の私もそうでした。

ですが、ある事がきっかけで、その考え方も変わりました。
そして、自分が学んでいる東洋医学の世界では陰陽を学びます。
必ず表裏がるのです。

なので、出来事の解釈も陰陽があってもいいんじゃないですかね?
そこに、今回のコロナ騒動によってパニックにならない重要な
情報があると俺は思っています。

この陰陽の考え方を持っているかいないかで
少しは選択肢が増えると思います。

選択肢が増えると言うことは
自由の領域が広がると言うことになります。

人は最終的に自由を手に入れるために
生きていると思っています。

それは、身体的自由もあるだろうし、経済的な自由も、そして時間的自由。
そのために必要なものはそれぞれ違うと思います。
身体的自由を得るためには、運動や治療が必要な方もいると思います。
一方、経済的自由を手に入れるためには、どうやったら今よりも賃金を増やせるかとか
時間的自由に関しては、イメージとして身体的自由と経済的自由の結果と言った方が
わかりやすいかもしれません。

日常に潜んでいる恐怖は選択肢の少なさだと俺は思っています。

なので、それを克服するためには
フレキビリティーが必要だと言うことです。

もっと言うと、柔軟に対応できる力がこれから生きていく時代には
必要不可欠だと思います。

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