コンタクトレンズは不便さを増長させる

月曜日の朝の左目のモヤモヤ事件からすでに4日目に突入しました。
メガネを始めてしたのは高校3年生の時ですね。
急に視力が落ちてきて、始めてメガネを作ったんですよ。

そして大学生になった時に始めてコンタクトレンズを作ったんです。
その時はまだ、消毒液を入れてコンセントに繋いで煮沸をするようなケースがあったんですよね。
懐かしいです。
それからコンタクトも進化してワンデイやツーウィークなどが出てきました。

始めてコンタクトをした時に思ったのが、自分の目で全部見ているような感じで
とても嬉しかったという記憶が残っています。
それが、もう30年近くコンタクトをしている、それが当たり前になっているので
今回のようなことが起きると、とても不便だということがわかりました。

コンタクトレンズは不便さを増長する。
俺はコンタクトレンズによって世の中を見させられている。
依存をしているということ。

コンタクトを使うことによって、本当に魅せられているのは不便な世の中なのかもしれない。
これはコンタクトだけにとどまらず、今の日常品は全てそうなのかもしれませんね。
人は何を求めて進化しているんでしょうかね?
便利さは本当に人間が追い求めているものなのでしょうか?
不便さの中に本当の幸せがあるのかもしれませんね。
それは時間がそれを感じさせてくれるのかもしれません。

あなたは不憫さを愛することができますか?

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