この私たちが生きる社会にとって、記録とは何なのでしょうか?
単なるメモなのでしょうか?
それとも成長を確認するためのもの?
正義を示すもの?
以前6日間のセミナーに出たことがあってそこのビジネスマインドで
必須の要素として学びました。
I LOVE PAPER
紙に残せということです。
それから仕事で使った領収書の裏には毎回、誰とどんな話をしたかとか
誰の誕生日のために買ったとか
記録をとるようにしています。
そして、業務委託の先生に対して業務委託契約書を作成して書類として保管してあります。
これは、自分を守るためのものと正義を目的としています。
一方、カルテは何のためか?これは患者さんの状態の変化、ある意味成長(いい意味と悪い意味)を残すため、法的根拠を保つためです。
この前、実家の運送屋を先月退職した従業員から訴状が届いたようです。
残業代の未払いが主だったようです。
以前、母親と弟には絶対に紙媒体で記録を残しておけと。
でも、運送会社は昔から口頭で済ますことが慣例になっているようで
そこをわざと狙ってきたようです。
これも就業規則や雇用契約書があれば無駄なお金を使わなくても良かったはずです。
そして、最近あったNPO法人のサッカークラブもです。
これも実家の運送屋と同じですね。
保護者の処分など記録にとっていなかったから、俺に言われるんですよ。
あ、実家とは程遠いことをしていますからね。
プライバシー侵害とか、個人情報流出とか、恣意的処分などですけどね。
あなたにとって記録とは正義でしょうか?
もし正義だとしたら、そもそも正義とは何なのでしょうか?
正直なことでしょうか?
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