今日も、訪問で車の中でラジオを聞いていたんですが、
それって本当にそうなの?
と疑問に思うことがたくさん出てきました。
毎日、哲学的な事に触れているからなのかもしれませんが
自分としてはとてもいい傾向だと思っています。
哲学を学んでいて一番難しいのは【当たり前】を認識する事です。
言い換えると、常識を疑うことがとても重要になります。
でも、逆にそれが一番難しいんですよ。
なぜなら、当たり前の事は意識に上らないからです。
この1ヶ月ほど、かなり自分自身で哲学の事を学びましたが
そこが一番難しいんです。
常識って例えば、親になるとかですね。
親になるということは1人の人間を育てる重要な役割を担うわけじゃないですか
だけど、何も資格が必要ないということはどういうことでしょうか?
医師や弁護士、薬剤師は人の命を預かる資格だから、子供の頃から一生懸命勉強して
医大に入学して6年間学んで、国家資格をとって初めて患者さんを診ることができるようになります。
おかしいですよね?
これは昔、自分も言われて初めて気づいたんですよ。
こうやって当たり前の事は意識をしないと気づくことができないです。
昨日も書きましたが、良い環境でサッカーをやらせてあげることって最高だと思うじゃないですか?
それは光の部分だけを見ているからです。
そこで、影の部分を見つけることが新しい問いを生み出すきっかけになるんです。
例えば良い環境でサッカーができるとグラウンドが整備されているので、いつもイメージ通りにボールが受けれたり蹴れたりします。
一方土のグラウンドで練習をしていると、小さな凸凹などは日常茶飯事です。
その瞬間瞬間でボールの軌道が変わったりするんですよね、そうすると
咄嗟にその状況に体をコントロールしなければならくなります。
つまり、最高の環境は適応力を低下させる
という新しい問いが芽生えます。
そして強いチームになればなるほど、そのチームの型を教えられます。
すると影の部分で個性が無くなるといった部分がでます。
あなたの当たり前と思っている部分で影になっているものはなんでしょうか?
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