朝5時ちょうどに家を出ました。
どこに向かっているのか?
それは、女房の実家に帰省するためです。
8月9日から11日まで患者さんに休みをいただき、お盆休みをもらいました。
本当は昨日の夜に出発する予定でしたが、息子が合宿から帰ってきたのが8時30頃だったので、そのまままた4時間近く車に揺られるのもかわいそうだと思い、早朝に出発をしたました。
でも、圏央道の相模原付近で中央道に向かう方向の渋滞が発生していました。
そして関越に乗ってすぐに坂戸スマートインター付近までノロノロ運転でしたが、その後は
順調に流れて、8時30分くらいに前橋につきました。
早速、義理の親父にお線香をあげてから、ハーフパンツに着替えて女房の地元の神社まで
朝ランをしました。
連日の猛暑の前橋でしたが、今日は曇っていたので、それほど暑くはなく神社まで往復できました。
つくづく人間はパターンの生き物だということです。
俺は女房の実家に来るとからなず行く蕎麦屋があります。
そして、必ず行くスーパーがあるんですよ。
なぜ、そのパターンになってしまうのか?
その場所に自らが行っているのか?
行かされているのか?
俺にとっての帰省とは、この2つが成りたたせているのか?
他にも色々あるが何が俺をそのような行動にさせているのか?
それは、地元の小田原には無いからなのか?
もちろんそれは確実にある。
この2つの場所にいけば非日常の体験ができるのは確かだ。
非日常の体験というのは日常を忘れるためにあるのか?
それとも日常を確認したいためにあるのでしょうか?
そもそも日常とはパターンのことを言っているのか?
だとすると、この群馬の帰省の俺の行動も日常になってしまうのではないか。
日常とはどの程度の頻度なのか?週5日?
でも生きているという状況に設定されたら非日常なんていうのは死なない限り
無いことになる。
今もこのブログを書いているのは昼の蕎麦と日本酒を飲んで昼寝をするという群馬での日常の後だ。
明後日まで、日常か非日常かわからない群馬の時間を大切に過ごそう。
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