習慣は作るものか作らされているのか?

前々からなんとなくわかっていたことがあります。
それは、俺は朝方だということです。
小さい頃から夜遅くまで起きていることが苦手で、徹夜なんてもってのほかです。
世の中が不眠症が問題になっていますが、それはどこの世界の話かと思うくらい
寝れないことは全くないんですよ。

これって、どういうメカニズムなんでしょうかね?

そして、最近もやはり俺は朝型だということを確信しています。
日曜日も朝ランしてから木こりをやりましたが、朝ただ早く起きるだけでなく
ランニングをすることで体のスイッチがオンになるような気がするんです。

ということで、今日も5時50分に起きて朝ランをしてきました。
これから暑くなってくるのでこのくらいの時間が一番走りやすいかもしれませんね。
では、この習慣は自分が自ら作っているのか?それとも作らされているのでしょうか?
そもそも習慣とはなんなのでしょうか?
歯磨きはどうでしょうか?
今では当たり前になっていますが、これは明らかに親から作らされてきたものだと思います。
幼少期は誰もが親に歯磨きをさせられていてそれが小さな社会でも常識化され
それが強化されたものになりました。
この小さな社会とは保育園や幼稚園ですね。

勉強もそうですね。
自分で習慣化するものではなく社会の常識として習慣にさせられたと言った方が過言ではないですね。
では、習慣化するとは何か?
それは考えることを省略でき安定的に成果を出せるということですね。
これは脳にとってはエネルギー消費に関して言えば省エネになるのでいいかもしれません。
一方物事を考える作業が要らなくなるということにおいてはマイナスです。

そう考えると、習慣というのは誰にとって都合がいいのか?によって全く意味が変わってきます。
今国を動かしている政府にとっては国民には政治のことから無関心になってもらいたいというのが本音でしょうね。
なぜなら、そうなることによって自分達に都合のいい政治ができるようになるからです。
それがずっと続いた結果、今の弱り切った日本ができたんだと。
それは、小さい頃から学校では政治的な話はタブーとされてきた習慣によって出来上がりました。

習慣とは誰のためのものなのか?従わせるためのものか?
自主的なものか?

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