今日も、5時50分に起床して、朝ランに行ってきました。
月曜日は、天神社へのお参りをするので、神社方面に走って行ったのですが、途中
北ノ窪の公民館があってその隣に小さな公園があるんです。
そこに、小さな女の子がいたんですよ。
よく見たら、隣の家の女の子で、夏休みのラジオ体操に来ていたみたいなんですよ
首から紐を下げてスタンプを押すようなカードをぶら下げていて。
そういえば、俺が小学生の頃も毎日朝ラジオ体操に行っていたなと懐かしかったです。
皆勤賞だと何かプレゼントがあったような気がしました。
昔は当たり前のように感じていましたが、今色々成長した後に思うことは
夏休みの朝野ラジオ体操は、健康の習慣を作ることだけでなく
考えさせない子供を作るためのラジオ体操なんじゃ無いかと。
健康習慣を作るためなら、朝合同で何もやらなくても良いと思うし
たった5分程度の運動よりも、もっと健康になる方法はたくさんあるはず。
だけど、同じ小学校の仲間で毎朝会っていたら、団結力も上がるし、そこに来ない子供を
仲間外れにすることもできる。
そうやって、俺たち年代の子供達は国に教育されてきていたんだなと。
なぜなら、その方が国にとっては都合がいいからです。
もっというと、小学校の時の習字では、青色申告とか、納税の義務とか書かされていませんでしたか?
あれも、何も疑うことなく税金を納めることは当たり前と思わせることだったんですよ。
だからこそ、娘や息子には自分の頭でなぜそうなっているのか?
本質はなんなのかを見極められるようになってほしい。
そのためには論理学や哲学が絶対に必要になる。
問い続けること。変化に気づくこと。
一生問い続けることが重要だということ。
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