今朝も日曜日でしたが、昨日は早く寝たので5時45分に起きました。
今日は女房が日勤なので、家の事は俺がやるようになっています。
やはり、早起きの朝はランニンにつきます。
今日も北ノ窪の天神社に立ち寄り、お参りをして狩川沿いをランニングしてきました。
今回はキジには会えませんでしたけどね。
女房のリクエストで今日の夜はペスカトーレと鳥の手羽元があるので、それで何か作ろうと思っています。
ペスカトーレは魚介の入ったトマトソースのパスタなので、このブログを書く前に
トマトソースを作りました。
レシピはニンニク・玉ねぎ(友達が淡路島で作ったもの)・人参(平塚の友達が作ったもの)・セロリ(マックスバリューで今朝買ってきました)。
これをオリーブオイルで炒めて、軽く塩をして、トマトホール缶(イタリア産)を入れて
自家製バジルを入れて1時間くらい煮込みます。
そして、油が浮いてきたらブラウンのハンドブレンダーでソースをなめらかにします。
これがまた、ソースが砂糖などは全く入れていないのに甘いんですよね。
うちの家族は俺の作ったトマトソースが大好きなんですよ。
あっという間になくなります。
自分のために料理をすることって、あまり何も感じませんが誰かに食べてもらうことを考えて作るとなんていうかモチベーションが違いますよね。
なぜなのでしょうか?
そもそも料理って何でしょうかね?
ただ、お腹を満たすためだけのものでしょうか?
それとも栄養を摂るためのものなのでしょうか?
人との繋がりを作るものなのでしょうか?
これについては、その都度環境によって変化するものだと俺は思っています。
なぜなら、激しい運動をした後なら栄養を摂るためのものになりますし、災害があった場合はお腹を満たすためのものになるからです。
でも、ほとんどは人との繋がりを作るものなのでは無いかと俺は思っています。
今年、3月に亡くなったおばあちゃんはいつも料理を作ってくれていました。
おばあちゃんの料理は本当にどれも美味しかったですが、特にコロッケが大好きでした。
けしてサクッとはしていないんですけどジャガイモが柔らかくてとても甘かったです。
もう、2度と食べることができませんが俺の記憶にしっかりと残っています。
そう考えると料理は人との繋がりに加えて時間の記録とも考えられますね。
料理=記録(心)が俺の中では一番しっくりくるかもしれません。
今日の夕食は家族の記録に残りますかね?
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